高松高等裁判所 昭和25年(く)9号 決定 1950年3月18日
抗告人 被告人 真鍋通
弁護人 三浦通太
主文
原決定を取消す。
本件忌避申立は理由がある。
理由
弁護人三浦通太の即時抗告の趣意は原決定記載の通りであるからこれを引用する。
本件訴訟記録を調査すると
(一)本件公訴事実は被告人真鍋通は源代宗利、小池実等と共謀し昭和二十三年六月十七日午前二時過頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て同人及び其の妻シゲヨに出刄庖丁を突きつけたり同人等を縛り上げたり等した上其の所有の現金三千円位衣類等四十点余を強取したというのであつて此の被告事件は松山地方裁判所西条支部判事太田元が担当したこと
(二)然るに同判事は曩に源代宗利に対する強盗被告事件(旧法手続による)及び小池実に対する強盗被告事件(新法手続による)を担当審理し孰れも「源代宗利、小池実、真鍋通(本件被告人)は共謀して昭和二十三年六月十七日頃西条市百軒巷松本米太郎方に於て強盗した」との事実を認定し、源代及び小池の両名に対し有罪の判決をした事が明白である。而してこのような場合被告人真鍋及び弁護人三浦通太が同裁判官の審理裁判を受けるならば有罪の判決を受けるであろうと危懼の念を懐くことは一応尤もなことである。然し同裁判官は曩に源代宗利、小池実について審理裁判をしたからといつて被告人真鍋通に対する審理を省略して裁判することはできぬ。同被告人についても起訴状に基いて審理せぬばならず審理して有罪の判決をするには証拠に基かねばならないのである(刑事訴訟法第三一七条参照)。而して証拠によるといつても手続上証拠資料としてはならぬもの、即ち証拠能力のない証拠もあり(刑事訴訟法第三一九条乃至三二八条参照、尚申立人主張の共犯者源代宗利、小池実の司法警察官に対する供述調書は同法第三二一条第一項第三号第三二五条の制限を受けるのである)裁判官は証拠能力ある証拠によつて罪の有無を認定するのであつて其の証拠に証明力があるかないかは裁判官の自由な判断に委ねられ(同法第三一八条参照)て居り従つて証拠の取捨事実の認定は裁判官の自由裁量に属するものとはいえ専恣偏頗な裁量は許されず飽くまで経験上の法則論理上の法則によつて判断せねばならぬのである。而も尚同裁判官が特に不公平な裁判をすると疑うべき何等の事情も発見出来ないのであるから申立人等の叙上の危懼は単なる杞憂に過ぎないとも思われるのである。然しながら新刑事訴訟法は公平な裁判(憲法三七条一項)の理念から当事者主義を強化すると共に第一回の公判期日までは出来る限り裁判所を白紙の状態に置き公判の審理によつて始めて事件の心証を得るようにさせるために旧刑事訴訟法の公訴提起の方式に根本的な改正を加え起訴状には裁判官に予断を生ぜしめる虞のある書類(例えば捜査書類)其の他の物を添附し又はその内容を引用してはならないと規定して居るのであるが(刑訴第二五六条第六項参照)この規定はかかる捜査書類其の他の物を添附し又は其の内容を引用すると裁判官がこれを取調べ事件について予断を抱いて第一回公判廷に臨む虞があり其の予断は先入主となつて裁判官の当該事件に対する審理及び裁判を誤らす虞がある。畢竟不公平な裁判をなさしめる虞があるということを想定して規定せられたものと解せられるのである。そうだとすれば本件の場合もこれと同じく担当裁判官は曩に同じ強盗事件について取調べて居るのであるから被告人に対する第一回公判開廷前に既に事件について予断を抱いて居る虞があり延いて不公平な裁判をする虞があるものと解することが新法の精神に合致するものと思われ同法第二十一条第一項の不公平な裁判をする虞云々の適用に当つても本件のような場合は之に該当するものと判断せざるを得ないのである。以上のような次第であつて要するに本件のような場合裁判官が不公平な裁判をする虞は事実上あり得ないように思われるのであるが新法の精神が一律にその虞があると想定して居るものと(刑事訴訟法第二十条第七号のように除斥の事由にまではしておらないが)認められるのであるから忌避の申立があれば認容すべきであつて結局本件忌避申立は理由あることになりこれを却下した原決定は取消さねばならないのである。仍て刑事訴訟法第四百二十六条第二項に則り主文の通り決定する。
(裁判長判事 坂本徹章 判事 近藤健蔵 判事 浮田茂男)